雛人形の歴史と特徴について

最終更新日 2023年12月20日

雛人形は元々中国からやってきた上巳の節句に由来するもので、穢れを祓う習慣が日本にも伝わり広まりました。
桃花節と呼ばれていましたが、いつの頃からか巳の日の祓いを3月3日に行われるようになります。
一方、奈良時代になると宮中や貴族の邸宅で、3月の上巳や桃の節句に穢れを祓う儀式が行われ始めました。
水に杯を浮かべて穢れを洗い流す儀式でしたが、やがて紙を人の形に切った形代を作り、体を撫でて穢れを移し川に流すという儀式になっていきます。
この流し雛は平安時代に行われたものですが、江戸時代になると人形遊びと結びつくわけです。
それこそが雛人形の始まりで、節句の儀式と融合して全国に広まり現在の形となりました。
ちなみに、3月の節句に雛祭りが行われるようになったのは、安土桃山時代以降とされています。
江戸時代には人形作りの技術が発展しており、様々な人形が作られたことで、女の子の間で人形遊びのブームが起こります。

庶民の手が届かなくなるほど高額な人形も現れ始める

その結果、職人は人形作りの技術を競い合うようになり、人形は豪華さを増して立派になっていきました。
当然ながら庶民の手が届かなくなるほど高額な人形も現れ始め、到底川に流すわけにもいかなくなります。
そこから雛祭りは人形を流すスタイルから、現在の人形を飾るスタイルに変化しました。
雛人形といえば、雛祭りを終えたら片付けないと行き遅れるといわれていますが、これは当時からある名残です。
片付けないことは厄を流していないと同義で、婚期が遅れるばかりか不幸に見舞われるとされています。
余談ですが、江戸時代初期の人形は現在からすると簡素なもので、形代に由来する立雛、座った坐り雛などでした。
男女セットの内裏雛を飾る程度だったので、現代の豪華な雛人形からは考えられないほどシンプルです。

災厄を人形に身代わりしてもらうという祭礼的な性格も強まる

飾り物としての性格もありましたが、災厄を人形に身代わりしてもらうという祭礼的な性格も強まり、身分の高い女性の嫁入り道具に数えられるようになります。
家財に含まれる嫁入り道具ですから、言うまでもなく立派な作りのものを持たせて嫁入りさせる家が続々と現れました。
そして人形の作りは豪華になり、更に精巧さも加わり金箔張り屏風の前に並べて飾るようになっていきます。
これが現在のスタイルのルーツで、見た目は華やかでいかにもお金が掛かっている飾り物へと変化しました。
享保年間の時代になると、江戸幕府の倹約政策により大型の雛人形が禁止されることになります。
当時の資料によれば雛は八寸以下、つまり約24cmよりも小さく、雛諸道具における蒔絵は不可と記されています。
しかし職人たちは制限を苦にせず、むしろ小ささを技術で競い合い始めます。
これを芥子雛といって、数cmのサイズに持てる技術が込められた極めて精巧な人形です。
手頃なサイズで飾りやすいことから、芥子雛は1つのブームになり流行しました。
江戸時代も後期になると、京で有職雛という宮中の平安装束を再現した人形が現れ始めます。
江戸では現在の人形に通じる、古今雛が独自に現れています。
それが京に伝わり広まっていくことになるわけです。

戦後になると道具の数や収納がネックになり、大規模な御殿飾りは廃れる

官女や随身、仕丁といった内裏人形の従者が誕生したのは、丁度幕末時代のことです。
五人囃子は18世紀の終わり頃に登場したので、雛人形と一口に言っても、人形によって現れ始めた時期が大きく異なることが分かります。
以降も大道具や小道具が加わり、京においては京都御所紫宸殿の模した雛御殿、台所用具といった御殿飾りが発展しました。
ところが、江戸では御殿飾りは京ほど広まらず、雛壇と嫁入り道具を中心とした壇飾りが発展することになります。
このように京と江戸では別々に発展を見せましたが、戦後になると道具の数や収納がネックになり、大規模な御殿飾りは廃れました。
残った壇飾りの勢力が急激に増して、全国に伝わり統一された結果に至ります。
核家族化などの生活スタイルの変化により、本格的な壇飾りのニーズは減っていますが、関東圏では今でも壇飾りが作られていて根強い人気です。
ただ、現代でも設置や収納の問題があることから、コンパクトだったり段数を減らした人形が人気を集めます。
手頃なサイズで場所を選びにくく、片付けも簡単で収納にも困らない、そういう手軽に楽しめる商品が売れ筋となっています。
かつての大きく華やかな人形が持て囃された時代からすると、現代の事情は少し寂しい感じもしますが、それでも文化が継承されて伝統が伝わり残っているのは確かです。
そもそも雛祭りの歴史も時代と共に変化してきたものですし、人形も大きく作られたり小さいものがブームになったりと、やはり変化しながら現代に伝わっています。

まとめ

ニーズに合わせて変化するのはある意味で当然ですし、時代の変化に対応できないものは、例え伝統文化であっても廃れてしまうでしょう。
江戸時代よりも遥かに昔から存在する文化が、形を変えながらとはいえ残り続けているのは誇るべきことです。
それに今後も変化しながら残り続けると思われますし、過去のブームがリバイバルで再びブームを巻き起こすことも十分に考えられます。